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 工藤新一。現在、東都大学法学部一年。
 元高校生探偵は、現大学生探偵となりメディア露出は減ったものの相も変わらず学生と探偵の二束の草鞋で生活を続けていた。

 そんな彼は、本日、すこぶる機嫌が悪い。


 高校二年の修学旅行後から付き合い始めた幼馴染兼恋人の毛利蘭との逢瀬の時間がとてつもなく減っているからである。

 本人も口に出さないし、同じ帝丹高校から進学し新一の事情をそこまで知るものもいないので、新一の機嫌の悪さが、まさか「彼女に逢えていないから」と想像できるものは少ない。
 しかし、表情に出さないだけで、イケメン探偵だのなんだかんだのと持て囃されている工藤新一は、深刻な毛利蘭不足に陥っていた。


 蘭は父の出身校でもある米花大学へと進学した。
 それだけで、学校と言う長時間一緒に過ごすことが可能な空間がなくなり、高校時代より一緒にいる時間が大幅に減ったのだ。
 
 正直、新一としては土日だけでは全くもって足りない。

 蘭は空手の道場もあるし、父の世話と毛利家の家事(ついでに工藤家の家事も)という仕事も多く忙しい。
 新一自身も、FBIやらCIAやら日本警察やら公安警察やらあちこちの事件やなんやかんやと、メールが届いたり、電話がきたり、呼び出しがかかったり、高木警部補(昇進した)が迎えに来たりと忙しい。
 すれ違いつつもなんとか毎日メールか電話だけはつないでいるものの、ここ一ヶ月、蘭の顔を見ていない。
 オレがこんなに蘭の顔見れてないとか、おかしくないか?
 と、胸中で呟こうが何をしようが、新一は愛しい蘭と会える時間をどうしても確保出来ずにいた。

 そして、ようやくなんとか時間を割いた日曜日。
 土曜の夜から絶対に蘭に会いに行く!と固く誓っていたにもかかわらず、どうしてこう事件は発生してしまうのか……。
 誓った土曜の夜に限って、目暮警部から電話が入り、結局、毛利探偵事務所ではなく殺人事件現場へとたどり着いたのだった。
 事件自体はたいしたことはなかった。
 トリックも証拠も犯人も、突き詰めて行けば一本の道筋に連なって行くのは、新一にとって時間がかかるほどではなかった。

 問題は、犯人だ。

 この犯人、どんなに新一が理路整然とロジックを説明し、どう考えても、どう証拠を照らし合わせても彼以外に犯行が不可能であることを指し示しても納得しないのだ。
 どこまでも無駄に意味の通らない言い訳を繰り返して、嘘を上塗りして、何とか逃れようともがく。
 もがけばもがくほどぼろが出て、自分でほぼほぼ自供していたのにもかかわらず、誘導尋問だのなんだのかんだのいちゃもんをつけては時間を長引かせ全然自分の罪を認めない。
 どれもこれも決定的な証拠だらけになっても、自分のせいではないと責任転嫁を始めたり、半狂乱に泣き叫んで狂った異常者を演出したりとまあ忙しい。


 新一は、過去の経験から真実を明らかにするのが自分の仕事であり犯人を追い詰めたいと思っているわけではない。
 被害者がどのような人物であれ、どんな経緯があったにしろ、人が人を殺める理由にだけはなりえない。
 だから、どんな犯人でも、それを認め、犯してしまった罪を償ってほしいと思っているのだ。

 あとは根比べだった。
 内心イラつくこともあったが、努めて冷静に彼の話に耳を傾け、ひとつずつ、彼が言い訳することも、うそも、行動も全てを潰していくしかなかった。
 新一が諦めてしまえば、おそらく彼は二度と罪を自分のものと向き合わずに無理やりに刑務所にはいるだけだろう。
 それではきっと更生することはない。

 それでまさか、蘭とデートする予定だった日曜日、丸々一日を費やすとは思わなかった。
 というか、月曜の明け方近くまでかかった。


 結局警視庁で仮眠を取らせてもらい、高木に送ってもらって登校した。
 蘭にはメールはしたし、返事も来ていたが、電話も出来なかったので声すら聞けなかった。
 今朝までかかった事件が、ニュースで報道されたのか、高木に送ってもらうと校門の前には結構な数の報道陣が構えていて、さらにげんなりするのだった。
 だが、あの両親にしてこの子あり、と言ったところか。
 報道対応慣れをしてしまっている新一は、メディア用の顔を作ると眠気やだるさ、ましてや蘭に会えないせいで積もっている苛立ちなど欠片も出さずに、にこやかに報道陣の前を通り過ぎていくのだった。
 見送っていた高木には、付き合いも長くなり気心が知れているせいも伴って車内で「蘭に会いたい」と心中を吐露していたのに、と、ある意味あきれられていたことなど知る由もないだろう。

 新一は基本的にフェミニストだ。
 報道慣れの件もそうだが、女性の扱いについては両親がああな所為か、たいていスマートに扱える。
 報道陣をやり過ごすと、ニュースを見た女性や女子生徒がファンだなんだと手紙やら花束やらプレゼントやらを押し付けて来た。
 会いたい女にはあえねぇのになぁ……などと胸中で独りごちるも蘭が現れるわけでもない。
 それでもにこやかに礼を述べながらも、手紙にはファンレターなら受け取るが、ラブレターなら恋人がいるから受け取れない旨をあらかじめ伝えて応対して行くと、講義が始まるぎりぎりになりそうだった。


 なんとかたどり着いた講堂でぐったりと突っ伏する。
 だるいが正直今朝の講義は前々から期待していたものなのでどうしても休みたくもなければ寝たくもない。
 法学部に入ったわけなので、もちろん今後役立つだろう法務関係の授業は多いし、今日はアメリカの犯罪心理学の特別講師がネット通信でライブ講義をしてくれると言うので前々から予約を入れていたのだ。
「工藤ー、大丈夫か?」
 新一と同じく法学部でよく話す大学から出来た友人の伊南亮介と幸田悠次の声が上から降ってきた。
「お~……」
 力なく片腕を上げると、二人が新一の隣に腰掛けたのが気配でわかった。
「朝からすげかったもんなぁ……、記者とかお前のファンとか……」
「たいした事件じゃなかったんだけどな……」
 顔も上げずに力が抜けたまま答える。
「大学生探偵は大変だな~」
 からかいついでに新一の頭を小突いてくる二人に、寝不足でぐらぐらする頭をようやく起こした。
「お、お前、ホントに大丈夫か?
 めちゃくちゃ顔ひでーぞ?」
 新一が気力を振り絞って頭を上げた顔を見て二人がぎょっとする。
「……ほぼ2徹だからな……」
「え……」
 新一の無表情な答えに二人が引いたのを見て取ってから、机にひじを突いて両手を組むと額を乗せる。
 はぁぁ……と深く溜息をつきながらぼそりと、本音が口からこぼれた。
「……蘭を抱きたい……」
「!!!????」
 小さな呟きを聞き逃さず、工藤が壊れたと二人が絶句したころに講義が始まった。


 眠気は最高潮だったが、講義が面白かったのでなんとか乗り切れた。
 さすが、アメリカの元プロファイラーとして活躍していた人だ。
 実際の事件の話や推理の糸口になる心理状況など興味深いことが聞けた。
 新一としては充実した授業だったが、途中からほぼほぼ新一と特別講師の対談状態で、しかも全英語で行われるものだから生徒はドン引きしていたし、講師も伊南も幸田も呆れていたのだが、新一は眠気も伴ってそのあたりは気づいていなかった。

「次って何だっけ……?」
 授業が楽しかろうが眠気と疲労、蘭欠乏症が引いてくれるわけではないのでふらつく足元で講堂を出ながら二人に尋ねた。
 伊南と幸田は取っている講義がほとんど同じなのだ。
「あー……憲法だけど……」
「まじか……」
 回答を聞いてげんなりした。
 この体調であのぎっちり書き連ねられた憲法を読み、講義が頭に入ってくるだろうか……。
 せっかく少し上向いた気分が急降下した。
 と、ついでに足がもつれてふらつく。
「あっ!工藤……っ」
 伊南が手を出してくれたがすり抜け、どん、っと反対に向かって歩いてきた誰かにぶつかった。
「あ、すみません……っ」
 慌てて体勢を立て直しながら謝罪を告げると、伊南が腕を取って支えてくれた。
「工藤君、真っ青!! 大丈夫??!!」
 聞き覚えのある甲高い声に頭がキンっと響いた。
「あ。森内さん……」
 幸田が先に声の主の名前を告げ、それを聞いた新一は、顔を上げないまま思わずげっと、うめいた。
 伊南の手を借りつつ、何とか体勢を整えると、
「ちょっと寝不足なだけだよ、大丈夫」
 なんとか笑顔を作って森内に応じた。
「そう? 顔色、かなり悪いけど……」
 そう言って新一に擦り寄ってくるしぐさを見せる彼女はどうやら新一に好意があるらしい。
 何度も恋人がいることも伝えているし、やんわりと遠ざけているのだがなかなか諦めてくれない。
 森内藍夏(もりうちらんか)と名前が若干にているくせに、蘭とは性格が正反対な感じがあまり新一は好きにはなれなかった。
 新一は探偵だ。
 自分の身の回り(と、ついでに蘭の身の回り)の情報が自然に耳に届くようにしてある。
 彼女が自分の容姿や恋愛ごとにご執心で、男をファッションの一部のように考える手合いである上に、新一を手に入れるためにあーだこーだと吹聴して回っていたり、新一の彼女である蘭に何かをするためにだろう、蘭の大学を調べようとしていたりと勝手をしてくれている。
 もっとも彼女に蘭の情報が辿り着かないよう手を回してあるが……。
 他の学部では森内の言うことを信じるものもいるのかもしれないが、法学部の友人たちは新一が彼女を全く相手にしていないことで有名だった。
「工藤君、少し休んだほうがいいんじゃない? わたしこの後、講義ないからついていてあげるわ」
 伊南が支えているのとは反対の新一の腕を取って上目遣いに微笑む。
 おそらくかわいい部類に入る彼女なのだろうが、残念ながら新一の目には蘭以上にかわいい女性も美しいと思う女性もいないので全く持って通じない。
「大丈夫、次も抜けられない講義だから」
 なんとか笑顔で腕を解くと伊南のほうへと少しよろけながら避けると逃げるように次の講義へと向かう。
 後ろから森内の新一を呼ぶ声が聞こえていたが、もうかまっていられる精神状況ではなかった。
 そそくさと森内から逃げるように次の授業に向かうと、苦手な女性に絡まれた、という気持ちが強い新一としては、精神力が削られただでさえ不良の体調がより悪化した気がするのだった。

 

「………らんに……あいたい……」
 ほとんど伊南と幸田に引きずってもらっている新一からもれるのが、彼女の名前、と言うのが二人にとっては少々意外だった。
 大学に入ってから友人になったこの超人のような完璧な男は普段なかなか弱音も本音も出さない。
 軽口をたたいてくれるほどに仲良くなったが、ここまでぐったりしているのは初めてだった。
 まして、普段は彼女がいると言うのすら嘘なのではないかと思うほど彼女の話も女性の話もしない。
 先ほどの森内だとて、新一の好みではないようだが女子の中ではだいぶ美人な方で、新一を羨む男子は結構いると言うことを伊南も幸田も知っていた。
「工藤って、彼女のコト、ホントに好きだったんだな」
「……あたりまえだろ」
 ボソッと伊南が尋ねると、少し照れたように目線をそらして肯定した。
 伊南たちとしては初めて知る友人の顔に驚きと苦笑を浮かべるしかなかった。

 

「……マジで、限界……」


 そして憲法の講義と午後の1コマ目の講義が終わると寝ていないはずなのに、新一はその一言をのこして大学を飛び出していった。

 
 寝不足でぐらぐらする頭のまま、新一は何とか目的地にたどり着いた。
 とりあえず、何度か来たことがあるので目的地を探す。
 時間を確認しながら進むと、周りがざわついている気もしたがそれよりも今は……。
 色あせてぐにゃぐにゃとゆがむこの世界から唯一、新一を救ってくれる存在を求めてただただゆがむ地面を蹴るのだった。

 


 
 不意に、目の前が色づいた気がした。
 ドアが開いて何人もの人が部屋から次々と出てくるのをぼんやりと見つめる。
 ぼうとその色だけを見て突っ立っている新一を、少し驚いた顔をしながら人が避けていってくれた。
 すれ違う人たちの中には新一を知り名を呟くものもいたが、耳にも目にも入らなかった。
 ただ、捜し求めていた色鮮やかなそれだけを一点に見つめると、ようやく目が合う。
「らん……」
 声になったかすら怪しいかすれたそれで縋る様に呼ぶと、大きな瞳が瞬いてこちらを捉えた。
「し、新一……?!」
 驚いた顔で一瞬固ってから、そのまま駆け寄ってきたのは、間違いなく蘭だった。
 会いたくてたまらなかった彼女だった。
「えええっ、新一君、なんでここにいんのよ!?」
 いつも一緒にいる園子の声も聞こえたが、それより完全に限界だった新一は、園子も周りも気にせず駆け寄ってきた蘭をそのまま腕の中に閉じ込めた。
 あたりに、わっと、どよめきが広がったがそんな事は今の新一には瑣末なことだった。
「えっ、ちょ……?!」
 腕の中で驚きながら身じろぎする蘭を認めながらも離すことが出来ずに蘭の肩に頭を預けて目を閉じる。
 回した腕には自然に力がこもった。
 全身で感じられる求めてやまなかったぬくもりに足の力が抜けそうになる。
 呼吸をすれば甘く鼻腔をくすぐる蘭の香りにようやく安堵した。
「し、んいち……?」
 少し身をよじって新一の顔を確認する蘭とちらりと目が合う。
 ああ、蘭だ……と改めて確認すると、まわしていた腕を少し緩め、会いたくて仕方なかった蘭の顔をじっと見つめた。
 少し上気した桃色の頬と、きょとんと大きく見開かれている瞳が相変わらず可愛らしいなどと反芻して頬をなでる。
「……らん、……あいたかった……」
 情けないほどかすれた声でそう呟くと蘭が大きく目を瞬いた。
 それからゆっくりと目を細め、唇が弧を刻む。
 新一が何よりも大切で、愛おしいと思う笑顔で少し照れくさそうにしながらも蘭が微笑んでくれていた。

 

「……わたしも、だよ」
 そう、言葉を刻む甘く柔らかい唇に、


 ――無意識に噛み付いた。

病名:毛利蘭欠乏症

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